はじめに
先日開催された「プレゼンテーション演習」の合同発表会で,本研究室のプレ配属生が次のような質問を受けていました.
火星の大気密度が小さいのであれば,密度に応じて粘性係数も変化するのでは?
私自身,温度が決まれば気体の粘性係数が決まることは,知識として知っていましたが,密度に対する依存性については意識の外にありました(ウッカリしていました).
理科年表(1)を紐解いても
気体の粘度(粘性係数 著者注)は数十Paより数気圧に至る広い範囲において圧力にはほとんど無関係である.
とは書かれていますが,その理由までは示されていません.
そこで,慌ててVincenti & Krugerのテキスト“Introduction to Physical Gas Dynamics”(2)を確認して整理してみましたので,備忘録として掲載しておきます.
輸送現象
気体の巨視的な特性量(速度,温度,濃度)が空間的に一様でないとき,一様な状態に戻す現象(粘性,熱伝導,拡散)が生じることは経験的によく知られているところです.長時間経つと,最終的に一様な状態に達し,これらの現象は消滅します.
これらの物理現象は,気体を構成する分子のランダムな運動(熱運動)によって運動量やエネルギー,質量が輸送されることで生じるものであり,輸送現象と呼ばれています.巨視的な特性量の空間的な偏りが,分子運動によって輸送される微視的な物理量の流れ(流束)にアンバランスをもたらし,巨視的な特性量の輸送を生み出すわけです.
本稿では気体の粘性についてのみ考えていきますが,この場合考察の対象となるのは気体の速度の非一様性です.例えば,速度の方向成分
が
方向にだけ非一様に分布している場合,
一定となる平面上には速度成分
を一様にする方向に単位面積あたり
の大きさをもつせん断力(せん断応力)が働きます.これはニュートンの粘性法則として知られていて,次式のように表すことができます.
ここで現れたが粘性係数(粘度)と呼ばれる物性値です.次節では,気体分子運動論に基づき,粘性係数が密度や圧力に依らず温度だけで決まることを説明したいと思います.
気体分子運動論による輸送現象の説明
気体分子がもつ物理量(運動量,エネルギー,質量)の巨視的平均量を考えましょう.ここでは
は
方向にだけ変化するものとします.つまり
図1に示されるように,平面の下側に存在する分子がこの平面を横切るとき,この分子は,最後に他の分子と衝突した場所
でもつ平均量
をもって移動すると考えます.ここで
は平均自由行程
と同程度の大きさをもつものと仮定し,
と表します.ここで,
は1程度の大きさをもつ比例定数です.平面
の上側に存在する分子は,上と同様に考えて,平均量
をもって移動することになります.
また,平面を単位時間・単位面積あたりに横切る平均的な分子数は,に比例するものと考えられます.ここで,
は分子数密度,
はランダムな分子運動の平均速さであり,
で評価されたものです.
以上のことから,軸の正の方向に向かって輸送される,単位時間・単位面積あたりの平均量の流束
は
として計算することができます.ここでは比例定数です.
さらに,を
のまわりでTayler展開して,1次項までを残すと次式が得られます.
ただし,としました.

運動量の輸送と粘性
分子の質量をとすると,式(2)において
とおけば気体分子がもつ
方向の運動量流束が求まります.
ここでは気体の密度です.
次に,Newtonの運動法則
ある時間内に生じた物体の運動量の変化はその間に物体に作用した力積に等しい.
を適用すれば,図2に示すような平面に作用するせん断応力は,この面を単位時間に通過する
方向の運動量流束と等しくなることがわかります.ただし,せん断応力の向きについては,図2に示した平面の場合,
軸の方向を正と定義していますので,この面を通過して流入する正味の運動量が正となる場合に対応しています.一方,前節で定義した運動量流束は
軸の正の向きが正となるように,つまり流出する方向が正となるように定義されていますので,次式のように符号を変更する必要があります.

以上で求めてきた式(1), (3), (4)を比較することで,粘性係数が次のように与えられます.
ここで,平均自由行程は密度に反比例(3)し,熱運動の平均速さが絶対温度の平方根に比例する(4)ことを思い出せば,粘性係数は密度には依存せず,温度のみの関数となることが理解できます.
おわりに
3年生の授業(「プレゼンテーション演習」合同発表会)での質問をきっかけにして,気体の粘性係数が密度に依存しないことを気体分子運動論的に改めて考えてみました.以上の内容が記載されていたVincentiとKrugerのテキストは研究室の輪読で何度か読んでいたのですが,最近取り上げることはなかったので,完全に記憶から抹消されていました.やはり定期的に読み返す必要がありますね.
なお,同書によれば,Maxwellが1860年にこの関係を発見したとき,あまりに驚いて,彼自身が実験で確認するまでの間,眠れなかったとのことです.
参考文献
- 国立天文台 編,理科年表2019,丸善出版(2019), p. 395.
- W. G. Vincenti and C. H. Kruger, Jr., Introduction to Physical Gas Dynamics, Krieger Pub. Co. (1986), pp. 15-18.
- ibid., p. 14.
- ibid., p. 9.